未来空想新聞2041年(令和23年)5月5日(日)

九段理江「天空人語」

©森清

 昨年、国内の交通事故による死者数が、統計史上初めて0人になった。自動運転技術の向上により、安全性・利便性・経済性・環境への配慮を兼ね備えたパーソナルモビリティでの移動が主流となり、運転免許証を取得するニーズは年々減少している

 通勤時のストレスが大幅に軽減され、地方移住者の増加により地域の過疎化を防ぐばかりでなく、高齢者や障害を持つ人が気軽に旅行を楽しめるようになるなど、自動運転の恩恵に与る人は多い

 一方で、タクシー会社の倒産により転職を余儀なくされた元タクシー運転手の虎比子さんは、新しい移動様式を礼賛する昨今の風潮に寂しさを覚えることもあるという。「たしかに手動操作による運転は常に事故のリスクが付きまとう。それでも自分の手でハンドルを握り、自分の足でアクセルを踏み、夜の高速道路を疾走する解放感は忘れられない」

 幼少期より旧式の自動車を愛好し、運転手は天職だったと懐かしそうに語る虎比子さんは最近、車に代わる新しい趣味を見つけた。乗馬だ

 元々苦手だった動物の扱いに最初は手を焼いたが、思い通りにならないウマの操縦に次第にのめり込んでいった。「ウマは重要なことを教えてくれる。移動すること、移動によって自分の外側にある世界を知ることは、人間に組み込まれた本能ではないか」

 かつてアフリカを出た人類は筏(いかだ)に乗り、ウマに乗り、パーソナルモビリティに乗るようになった。我々がなぜ移動を必要とする種であるのか、移動技術の進歩が我々の未来に何をもたらすのか、人間以外の動物なら、あるいはすでに答えを知っているだろうか。

  • 九段理江
    KUDAN Rie

    1990年、埼玉県生まれ。2021年、「悪い音楽」で第126回文學界新人賞を受賞しデビュー。同年発表の「Schoolgirl」が第166回芥川龍之介賞、第35回三島由紀夫賞候補に。23年3月、同作で第73回芸術選奨新人賞を受賞。11月、『しをかくうま』で第45回野間文芸新人賞を受賞。『東京都同情塔』が第170回芥川龍之介賞を受賞。