未来空想新聞2041年(令和23年)5月5日(日)

自分らしく生きられる場所は一つじゃない。だからこそチャレンジも怖くない

何でもない日々を過ごす「あたり前」と「素」を大切にできる未来を

©伊藤彰紀

 結婚を機に、日本とオーストリアの2拠点生活を続けている俳優の中谷美紀さん。そのメリットを「住まいと仕事場が分かれたことで気持ちの切り替えがしやすくなりました」と振り返ります。

 一方、中谷さんが暮らすオーストリア中北部のザルツブルクでは、日本では経験したことがないような大変なことも。その一つが「ゴミ出し」。回収は有料で、2週間に1回だけ。「回収される量も限られているので、食事は食べ切れる分だけ用意する、生ゴミはコンポストで家庭菜園の肥料にするなど、自然とゴミを減らそうという意識になりました」と中谷さん。またリサイクルゴミは車で集積所に運ぶそうで、卵のパック、ヨーグルトの容器など、10種類以上に細分化されているのだとか。「あまりの細かさに最初は途方に暮れてしまって」と笑いつつ、親と一緒に子どもも慣れた手つきで分別する姿を見てこう感じたそうです。

 「地球環境へのサステナブルな取り組みやエシカルな行動は、日本ではともすると『意識が高い人のすること』ととらえられがちです。でも、オーストリアでは誰しも『生活するうえであたり前のこと』なのだ、と」

 そうしたくらしを送るなかで、人生観や仕事との向き合い方にも大きな影響を受けたと話します。

©伊藤彰紀

 「日本人は勤勉で、それはとても素晴らしいことなのですが、『仕事が人生の目的』になってしまいがち。でも、特に欧州では労働者の権利が厳密に守られていることもあって、一部の例外をのぞいて必ずバカンスを数週間単位で取得し、就業時間外はメールや電話もチェックしないなど、自分の人生を徹底して優先します。私も、俳優という職業人として自己実現することより、何でもない日々を生きることが人生において大切だと考えるようになりました」

 とはいえ、中谷さんのもとには国内外からさまざまなオファーが寄せられます。デビュー30周年を迎えた2023年は、11年に初演し話題となった井上靖原作の「猟銃」をニューヨークで再演。3人の女性を1人で演じ切るタフな舞台に挑みました。

 「私ももれなく勤勉な日本人ですから(笑)、引き受けたからには120%の力を注いでしまう。ただ、これ以上は無理!と感じたら、すべてをなげうって牛馬や羊の芳しいにおい漂うオーストリアの田舎に逃げ帰ればいい、と。自分があるべき場所はここだけではないと思えるからこそ、新しいことにも挑戦できるのかもしれません」

 そんな中谷さんに、41年の未来はどう見えているのでしょうか?

©伊藤彰紀

 「テクノロジーはさらに進化してエンターテインメントの世界は大きく変化するでしょう」。生成AIの登場によって「俳優という職は失われるかもしれないと覚悟しています」と正直な気持ちを吐露しながらも、技術革新にはこんな期待も寄せます。「VRの精度が上がることで、これまで劇場やコンサート会場に足を運べなかった体の不自由な人やお年寄りもエンターテインメントを自由に楽しめるようになるのでは?」

 一方、技術の進歩によってエンタメを上演、鑑賞する環境やスタイルが多様になるからこそ、逆に「『生』(ライブ)の価値がより高まる」とも指摘します。

 「舞台もコンサートも一期一会。二度と同じ空間、時間はありません。米国では公演中に携帯の着信音が鳴ったり、パトカーの音が外から聞こえてきたりすることもありますが、それでもある瞬間ピタッと空気が止まり、まるで真空になったかのような静けさが訪れることがあります。この一瞬のためにすべての音があったとすら思えるほどで、その場にいなければ味わえない感動を覚えるのです。テクノロジーでさまざまなことが可能になるからこそ、生のパフォーマンスやアートに触れることは、ますます貴重な、心を豊かにする体験になると思います」

 また海外に生活拠点を置いて見えてきた日本について、中谷さんはこうも語ります。「歴史、自然、建築、食文化など、日本は本来素晴らしいものをたくさん育んできたのに、経済成長を重視しすぎて美しさを失ってしまった面もあります。『素』のままの日本をあらためて見つめ、取り戻す。そんな未来が訪れることを願っています」

  • 中谷美紀
    NAKATANI Miki

    1976年、東京都生まれ。93年に俳優デビュー。映画『嫌われ松子の一生』(2006年公開)、ドラマ「JIN -仁-」シリーズなど多くの話題作に出演。演劇に携わる一方、『オーストリア滞在記』『文はやりたし』(いずれも幻冬舎)などの執筆も手がける。24年5月に刊行予定の『オフ・ブロードウェイ奮闘記』(同)では、さまざまなトラブルに見舞われながら全身全霊でステージに立ったニューヨーク公演の日々をつづっている。

    文学、絵画、音楽、そして自然も立派なアート。「生」の芸術に触れて空想の羽を広げて!

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