未来空想新聞2041年(令和23年)5月5日(日)

出来事が未来をつくる

©Uruma Takezawa

 昔から未来を固定しないように生きてきた。人生のレールが敷かれ、つまらないと思うからである。かつて勤めていた新聞社を辞めたのも、未来が見えたことにゾッとしたからだ。

 そんな私が近年もっとも影響を受けたのが「ナルホイヤ」という言葉である。

 これは、私が半年近く過ごす北極圏の狩猟民イヌイットの言葉で、「わからない」「何ともいえん」という意味である。

 明日のことを彼らに訊ねても、答えはかならず「ナルホイヤ」だし、狩りの行き先を聞いても「ナルホイヤ」だ。まるで未来のことはすべて「ナルホイヤ」と言わなければならないと決めているようで、最初は途方にくれた。だが、やがて、これは彼らの行動原理を示す深遠な哲学なのではないかと考えるようになった。

 彼らは計画というものを極力立てない。なぜなら計画とは、おのれの事情を優先させて未来の行動を決める、ということであり、自然に対して傲慢な態度だからだ。

 自然はつねに人間の意図を超えて流動、変化する。現在の状況をもとに未来を推し量っても、その通りにならないことが多い。明日、旅に出るつもりでも予想外の強風で氷が割れるかもしれないし、のんびりテレビでも見るつもりでいても突然白熊が現れて、犬橇(いぬぞり)で駆けださないといけないかもしれない。自分本位で計画を立てても自然に対しては通用しないのである。

 ところが人間というのは愚かなもので、ひとたび「明日はこうしよう」と計画を立てるとどうしてもそれに縛られる。計画から外れるのを本能的に嫌うのだ。そして自然の変化に対応できず、割れた氷に落ちて遭難したり、白熊を獲(と)れずに悔しい思いをする。

 〈いま目の前〉の状況に対して最適な行動をとるには、たとえ本当はなにがしかの計画が心に浮かんでいても、あえて「ナルホイヤ」と口にし、自然の声に耳を傾けないといけない──というのが彼らの行動原理なのだと、私は勝手に理解している。

 人というのは不確実な状態を嫌い、未来を決めてその通りに生きたいと考えがちだ。しかし、本物の、つまり生きるに値する未来とは、じつは自分の意志で決めるものではないのではないか。それは、意志というより、何か偶然の出会いや出来事がきっかけで不意に生じ、人生が飲み込まれてしまうようなかたちで決まってゆくものではないか。そんな気がする。

 いまの世の中、偶然などに左右されると人生を管理できないからダメだ、 と考える人が多いかもしれない。でもそれは間違いだと思う。偶然とは〈いま目の前〉そのものだ。つまりそのとき、その場にいた私にだけ起きた、世界で私にだけ起きた固有の出来事のことである。そう考えると偶然とは素晴らしいことなのである。

 ナルホイヤと口にしながら世界と向き合うことで、それまで閉じていた〈いま目の前〉の扉が開かれ、出来事が人生を決め、未来がおのずと出来上がってゆく。結婚して家族ができたのも偶然のたまものだし、北極で犬橇生活をしているのもたまたまが積み重なった結果だ。私の人生はおおむねそんな感じで推移してきた。それなりに生きてきた手応えがあるのも、未来を空っぽにして生きてきたからだと思う。

  • 角幡唯介
    KAKUHATA Yusuke

    1976年北海道芦別市生まれ。探検家・作家。著書に『空白の五マイル』『極夜行』など。チベット奥地のツアンポー峡谷を単独で2度探検。その後、探検の地を北極に移し、2011年、カナダ北極圏1600キロを踏破。16~17年、太陽が昇らない冬の北極圏を80日間にわたり探検。19年から犬橇での旅を開始、毎年グリーンランド北部で2カ月近くの長期狩猟漂泊行を継続している。現在までの紀行体験をまとめた『裸の大地 第二部 犬橇事始』(集英社)が23年に上梓されている。開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞、Yahoo!ニュース|本屋大賞ノンフィクション本大賞、大佛次郎賞、ほか受賞歴多数。