動物と子どもが喜ぶ建築、好かれる街
「日本が失いかけているものを回復することこそが未来の建築」。建築家の伊東豊雄さんは話します。
「未来」というと、多くの人はAI技術や自動運転の車のように新しい技術によって進化した社会を思い浮かべるかもしれません。
「でも、それでは人はきっと幸せになれません。技術の進化では満たされない部分を補完することが建築であり、建築家の仕事だと思っています」
伊東さんの友人にこう言った人がいたそうです。「『文化』は土に向かうこと、『文明』は土から離れていくこと」。伊東さんはこれを「『文化』は土地に根付いて継承されていくもの、『文明』はそういうことから離れていくこと」と解釈。「日本は明治時代以降、ひたすら新しいものを求め、新技術が未来をつくると考えてきました。でも、建築家の仕事はそれとは逆に、土地に根付く『文化』をつくっていくことだと思います」。大学院生のときに伊東さんの建築設計事務所でアルバイト後、所員になった建築家の妹島和世さん。ある建物の改修をした際、その建物が、さらにそれ以前の部材が継ぎはぎに使われながらつくられていることに気づき、「自分が今回改修したものも、この先また違う形につくり変えられ、使い続けられるのだろうと気づいた。そして、考えてみれば、新しいものをつくっているつもりでも、それも同じことではないか。そこの場所にあるものとのつながりからつくられているのだから」と感じたそう。「何かを壊して新しいものをつくるのではなく、ずっと続き、続いていくサイクルのひとつに入っていけたら」。各地方に存在する言葉やくらしが失われ色々なものが均質化すると、人にとってストレスになる気がする、と妹島さんは想像します。だから「その土地や文化とつながれる場所をつくれるといいな」。
「日本的建築」がエネルギー問題の鍵に
四季とともにあり、自然と近い生活を工夫しながら営んできた日本人。かつての日本の家には庭があり、縁側があり、部屋につながっていくという段階的な構造がありました。今は厚い断熱材を使い、気密性を高め、「自然から閉ざす建築」が合理的で省エネにもつながるという考えがあります。でも、かつての日本家屋的な考えが現代建築でも成り立つというのが伊東さんの考えです。
伊東さんが設計し、2015年に完成した岐阜市の複合施設「みんなの森 ぎふメディアコスモス」では、「外」と「内」のつながりを緩やかにし、内に入っていくほど快適な環境にしたところ、従来の半分のエネルギーでまかなえるようになったそうです。「昔伊東さんとくらしについての研究会のようなものをしていたことがあるのですが、その頃から、そういう発想をしていましたよね」と妹島さん。「温度や湿度の数字で快適か不快かが決まるのではない。たとえば、夏の暑い外でも木の下に入るとほっと快適に感じることがある。つまり色々な関係の中から、快不快が生まれる。伊東さんはもうずいぶん前からそういう話をされていました」。「自然から切り離すのではなくむしろ自然に近づける。それが省エネにもなる。日本から新たに発信していけるような日本型の建築をこれからは考えたほうがいいし、自然との関係をもう一度、回復することがすごく大事。そしてどうすればそれができるかを考えることこそが建築の未来をつくること」と伊東さんは力を込めます。「必要な電力量については供給側の論理で語られますが、使う側が工夫をすれば少なくとも3分の1ぐらいの消費エネルギーを減らすことは簡単にできます」
伊東さんが飼っている犬は、夏の暑いときには玄関のたたきに行って横になり、寒いときには日当たりのいいテラスの近くに行ったり、伊東さんのベッドに潜り込んだり。
かつての日本の家はその発想に近い形でした。「リビング」「ダイニング」と機能によって部屋を分けるのではなく状況に合わせて場所を変える。動物だけではありません。「人間でも、子どもは動物に近いし感受性が豊かなので、犬と同じような場所の選び方をします。良い建築、居心地のいい建築とそうでない建築を一瞬にして見分ける能力があるんです。機能主義という言葉はかなり前に無効になっている気がします」。人間の動物的な感受性が今、失われつつあります。自然に対する敏感な感受性をなんとかしなければ、省エネルギーの問題も解決しない、と伊東さんは考えます。
「地域」で考えるこれからの住まい
伊東さんは東日本大震災後、妹島さんたちに呼びかけて、被災地に「みんなの家」をつくりました。「みんなの家」は家を失い、避難所や仮設住宅での生活を余儀なくされている人たちが少しでも憩える場をつくりたいと資金を集め、人が集えるようにした建物です。仮設住宅での非人間的な生活から人間的な生活へ。ここで人々はともに語らい、食事をし、「みんなの家」やこれからの公共建築について話し合う──。伊東さんと妹島さんは「みんなの家」に「公共の場の基本」を見ています。最初の「みんなの家」ができて10年余り。妹島さんは「『みんなの家』がみんなのよりどころになる様子を見てきました。行政ではなく、自分たちが主体者となって場所をつくり、使い、発展させていく。社会の一員という役割や権利が自分たちにあると思えるきっかけになる場所がつくれたらいいのかなと思います。公共建築ってみんなでつくり使っていくものではないかなと感じます」。
未来に向けて2人がしていること。それは偶然にも、瀬戸内海に浮かぶ「島での試み」でした。伊東さんは、大三島(おおみしま)(愛媛県)に自らのミュージアムが2011年にできたことを機に、島に通うようになったそう。古い学校を改修して宿泊施設にしたり、古い家を借りて「みんなの家」をつくったり、住民の高齢化で維持することができなくなったミカン畑をブドウ畑にしてワイナリーにしたり。「東京だけではない、新しい住まい方のモデルみたいなものをつくりたいと思っているんです」
妹島さんも、現代美術と地域再生のプロジェクトに加わる形で2008年から犬島(岡山県)に通っています。小さな島で、空き家をギャラリーにしたり、訪れる人が休めるように坂の上に休憩所をつくったり。「自分たちが暮らすということをどうやってつくっていけるか」を実践しています。東京都庭園美術館の館長に昨年就任した妹島さん。都市と地方、公共建築づくりと使い方というそれぞれの側面から、住まう人が主体となる人と場所の関係づくりを模索しています。
若い人たちを中心に「所有」の感覚がなくなった昨今、家をシェアしたり、シェアすることで複数拠点を構えられたり。住まい方は自由度を増しました。「二項対立的な東京と地方が、もっと分散的になってくるとすごく面白い住まい方ができるんじゃないかと思うんですよね」と伊東さんが言うと、妹島さんも「そうですよね。二項対立ではなく、色々な場所があるほうが絶対に面白いですよね。東京も、面白い文化が場所ごとにあって、村の集合体のような集中の仕方になると、また違った形になると思います」。
伊東豊雄
ITO Toyo- 1941年、京城市(現・ソウル市)生まれ、東京大学工学部建築学科卒。代表作品は「せんだいメディアテーク」「みんなの森 ぎふメディアコスモス」など。2013年には建築界のノーベル賞とも称されるプリツカー賞を受賞。国際的に活躍する一方、多くの若手建築家を指導。自ら私塾を主宰し、広く一般の方や子どもたちへの建築や街に対する意識を高めるための活動を年間通して実施している。
妹島和世
SEJIMA Kazuyo- 1956年茨城県生まれ、日本女子大学大学院家政学研究科修了。代表作品は「金沢21世紀美術館(2004年)」「犬島『家プロジェクト』(10年)」など。軽やかで透明感のある作風が特徴。ベネチア・ビエンナーレ国際建築展のディレクターを務めるなど国際的に活躍し、10年にプリツカー賞受賞。22年7月には東京都庭園美術館の館長に就任した。